水を活かし、水に生きるトップページ > 胆沢平野物語 > 水陸万頃~胆沢平野の歴史 > 水を活かし、水に生きる水を生かし、水に生きる水を生かし、水に生きる胆沢平野の水は稲を育てるだけでなく、人々の生活を潤し、生き物の環境を育んできました。かつての水路は、野菜を洗い、ほてった馬の足を冷やし、水車を回し、子供が泳ぎ、蛍が舞う水路でした。ところがより効率的に用水を流すため水路が改修され、生活排水などにより水質が以前より悪くなるにつれ、多目的な使い方は次第にうすれていきました。そして今、かつての水路のにぎわいを取り戻すべく様々な取り組みがなされております。 大地に祈る山は聖地であり神はそこから里にくだりふたたび山に帰ってゆく。胆沢平野の人々はそう考えました。 胆沢川の上流、猿岩の山頂付近にある於呂閉志神社の旧社は奥の宮と呼ばれ古くから崇拝されてきました。年越しの日、稲束を本社に運びあげ五穀の豊作を祈り、春、神は里におりてくる。祭日、猿岩から持ち帰った「ユキツバキ」の小枝を苗代の水口に差し込んで水神とする。秋の祭日、御初穂として玄米を神前にそなえ、もみ殻を焼いて翌年の豊作を祈る。そして神は山に帰る。 胆沢の地は神がやどる大地なのです。